勉強を阻害するもの
勉強の障害が存在し。それは3あるようです。
勉強の障害
人は、単に学ぶ意欲があるだけでは、生徒としては成功しません。 勉強には落とし穴があります。生徒はそれを克服するために、効果的に学ぶ方法を知らなくてはなりません。
人の勉強する能力を阻(はば)み、その結果、教養を得る能力をも阻む可能性のある、はっきりとした障害が3つあることが判明しています。 これらの障害は、実際に、一連の身体的および精神的な反応を引き起こします。
これらの障害が何であるのか、そしてその対処の仕方を知り、理解すれば、その人の、勉強し学ぶ能力はかなり向上することでしょう。
第1の障害:質量の欠如
勉強の技術では、主題の「質量」と「シグニフィカンス」というものに触れています。 「質量」とは、実際の物体、生活の中にあるものを意味します。 主題の「シグニフィカンス」とは、その意味や考え、理論を意味します。
第2の障害:高過ぎる段階
「段階」とは、何かに対して少しずつ取り組む方法であり、それはステップごと、またはレベルごとに行われます。そのステップまたはレベルひとつひとつは楽に達成できるものです。そして最終的にはかなり複雑で困難なことを、比較的簡単に行うことができるようになります。 この 「段階」という言葉は、このような取り組み方で行われるステップそれぞれのことでもあります。
何かを勉強していて、その段階が高過ぎると、一種の混乱した気分、またはぐらつくような感じ(精神的な揺れや、不安定な状態)になります。 これが勉強の第2の障害です。
第3の、そして最も重要な障害 ― 誤解語
第3の、そして最も重要な勉強の障害は誤解語です。 誤解語とは、理解していなかったり、間違って理解してしまった単語のことです。
理解していない単語を飛ばして読み進めると、今までのとはまったく違った一連の生理的反応が起こることがあります。 理解していない単語を飛ばして読むと、はっきりと空っぽになった気分、または疲れ切った気分を引き起こします。「そこにいない」ような気分と、ある種の神経質なヒステリー(過度の不安)のようなものがそれに続きます。
混乱したり、内容が把握できなかったり、学ぶことができないといったことは、その人が定義せず、理解しなかった単語の後にやってきます。
誤解語は、他の2つの障害よりもずっと重要です。 誤解語は頭の良し悪しを決定づけるものです。そしてこれこそ、心理学者たちが、何をテストしているのかわからないまま、長年にわたってテストし続けているものなのです。
これが、数々の勉強の問題すべての原因となっているものです。 誤解語を飛ばして勉強すると、非常に多様な影響が心にもたらされます。ですから、誤解語そのものが愚かさの主要な原因であると同時に、それは、他の多くの望ましくない状態をもたらす主要な原因でもあるのです。
その人には才能があるかもしれないし、ないかもしれません。しかし、もし誤解語がなければ、その人のその主題に対する行動性は存在するでしょう。
理解していない言葉から生じる2つの特定の 現象 があります。
第1現象
生徒がひとつの単語を理解し損なうと、その単語のすぐ後の部分は、その人の記憶の中で空白になります。
その空白のすぐ前に、問題の単語が必ず見付かります。その単語を理解すれば、勉強している教材で以前は空白だった部分が、驚いたことにもはや空白ではなくなっていることに気が付くでしょう。これは魔法としか言いようがありません。
あるページを最後まで読んだのに、それまでに読んだ内容が全く頭に入っていなかったという経験をしたことはありませんか? あなたは、そのページのより以前のどこかで、定義を知らない単語や間違った定義を持っている単語を飛ばしてしまっているのです。
例をひとつ挙げてみましょう。「入相が訪れ、子供たちは静まり返った。それまではもっと元気だった。」 何が起こるかと言うと、あなたは全体の意味が理解できないと思うでしょうが、理解できないということはすべて、あなたが定義することができなかった夕暮れ、日没という意味の「入相(いりあい)」というたったひとつの言葉から来ているのです。
第2現象
誤解された定義、理解されていない定義、または定義されていない単語は、ある主題を勉強することを断念させ、人をコースやクラスから去らせてしまうことさえあります。 このように去っていくことを「ブロー」と言います。
やる気満々で勉強を始めたものの、しばらくして結局、「面白くない」とか「予想していたのと違う」と言ってやめてしまう人たちをよく見かけます。 その人たちはある技能を学んだり、夜間学校に通って学位を取るつもりでいましたが、最後までやり通しませんでした。 彼らの言い訳がどれだけ筋の通ったものであっても、勉強をやめてしまったり、コースから去っていったということは事実です。 これはブローです。 人がブローする主な原因はひとつしかありません。誤解語です。
他の勉強の障害(質量がない、段階が高過ぎる)が理由で、人は必ずしもブローしません。 それらは単に生理的な現象を引き起こすだけです。 しかし、誤解語は生徒がブローする原因になることがあります。
誤解語の後に起きる、明確な一連の行動があります。
生徒は、ある単語を把握しないと、そのすぐ後にあるものが理解できなくなります(空白状態)。 するとその生徒は、その空白状態に対する解決策として、自分をそこから 孤立させようとします。つまり、自分自身をそれから切り離し、関係を絶とうとするのです。
勉強していた領域から離れた今、その生徒は、その主題やそれに関係した物事、活動に対して何をしようと構わなくなります。 この態度(それから離れている、または異なっている)こそが、誰かや何かに対して行う有害な行為に先立ってあるものなのです。
例えば、ある授業で誤解語を飛ばした学校の生徒は、クラスで何が起ころうと構わなくなります。彼は恐らくその科目について友だちに 文句を言う ようになり、クラスにある道具を壊したり、教科書をなくしたりさえするかもしれません。
とはいえ、人間は本来善です。 人は有害な行為を犯すと、それ以上犯さないように自分を抑えようとします。 それは、自分の行為を正当化するために、いかに自分が他人によって「悪者」にされたかを見付け出そうとする行為に続きます。それから不平不満、他人のあら探し、「お前が俺にしたことを見てみろ」といった態度へと続いていきます。 ほとんどの教育制度はブローに対して眉をひそめます。
しかし、その行為は、その科目(生徒が勉強していたもの)から生徒を退かせ、言葉や文章を受け取り、それをおうむ返しにできる心の機械をそこに取り付けるのです。 自分の行っているものに対する興味は失ってしまったが、それを続けなくてはならないという時、人はこの心の機械を取り付けることができます。
こうして、「学んだことをなぜか決して使うことのない優等生」が生まれます。これはまた「グリブな生徒」とも呼ばれます。
そしてその独特の現象とは、生徒はいくつかの単語を勉強し、それをおうむ返しに言うことはできるのに、行動に移すことはできないということです。 試験では優秀な成績を収めるが、そのデータを応用することができない。
全く 愚鈍 な生徒は、誤解語を数個つかんだ後に起こる無理解の空白状態の中に、ただ留まっています。 その生徒は、自分の教材をデモ・キットや粘土を使って表現することができないでしょう。そしてそのような困難は、誤解語が存在しているという確かな印なのです。
データを使うことのできない「非常に聡明な」生徒は、全くそこにいません。 そのような生徒は、とっくの昔にその主題の内容、またはその主題そのものに 直面する こと(ひるんだり避けたりすることなく何かに向かうこと)をやめてしまっているのです。
「聡明な無理解」「愚鈍」、このどちらの場合にも共通の解決策となるのは、見過ごされたままになっている単語を見付け出すことです。
誤解語 の重要性の発見は、教育に対する扉を実際に開きます。 この勉強の障害は、最後に挙げられましたが、これが最も重要な勉強の障害なのです。
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