コミュニケーションで問題を見つける②

問題を見つける為には論理も必用なようです。

「論理」  論理という主題に関しては、少なくとも3千年前から議論が続いていますが、データを使って仕事をする人々にとって本当に役に立つような突破口は、いまだ見出されていません。 「論理」とは、論理的に思考するという主題を意味します。 過去、幾時代にもわたって、それを科学に分類しようと試みてきた人たちがいました。 しかし、それは見せかけであり、誇張であるとして、切り捨てられることもあります。 もし、そのような「科学」があれば、人間は思考できるはずです。 しかし、現実にはできません。 論理というその言葉自体が、全く近付きがたいものです。 論理についての教科書を読もうものなら、それを理解しようと努力してすっかり気が変になってしまうでしょう。思考する方法を学ぶどころの話ではありません。 それでも、論理あるいは論理的に考える能力は、組織者や管理運営者にとっては極めて重要なものです。 もしそういった人が明確に考えることができなければ、正しい決断を下す上で極めて重要となる結論に到達することもできないでしょう。 多くの官庁、政府、社会、グループがこの論理の不足につけ込み、非常に長きにわたって権益を保持しています。 考えたり、論理的に判断することのできない人々は、嘘や悲惨な大義名分に容易に操られてしまいます。 こうして、論理は支持を受ける主題にはならず、むしろその逆だったのです。 西洋諸国の学校でさえ、幾何学は「そのように考えるもの」として勉強しなければならない、と生徒たちに納得させようとしてきました。 もちろんそんなことはありません。 管理運営者やマネージャー、職人や事務員であっても、論理にはそれぞれ、かなりの用途があります。 もしこれらの人々が論理的に判断することができなければ、コストがかかり、時間も無駄にするような間違いを犯し、組織全体を混沌と忘却の彼方に追いやってしまいかねません。 彼らが取り引きしているものは、データであり状況です。 彼らが自分たちの行くべき道を完全に観察し、考えることができなければ、間違った結論に達し、不適切な行動を取ることにもなりかねません。 現代人は、数学が論理の役割を果たすことができると考えており、この哀れを誘う見当違いな信頼のおかげで、その人を取り巻く状況の多くが混乱へと向かっています。 人間の問題の複雑さと、そこに含まれるおびただしい数の要因の前には、数学は全く役不足です。 コンピュータはせいぜい、知性に対する松葉づえでしかありません。 しかし今日のメッキで飾ったような文明では、コンピュータに子供じみた信頼を寄せています。 コンピュータが少しでも役に立つかどうかは、コンピュータに質問をし、その解答を読み取る人に懸かっています。 そして、それが行われたとしても、それらの解答はしばしば大混乱したばかげたものなのです。 人間およびコンピュータ設計者が、本物の論理の法則を十分に理解していないのですから、コンピュータは考えることができません。 コンピュータに偽りのデータがひとつ取り込まれると、人は完全に間違った答えを受け取ることになります。 もし経営や作業のラインに関わる人々が論理を理解していなければ、その組織は脱線してしまい、立て直して活動を続けるためには途方もない非凡な才能が必要となります。 支配者や指導者、そして民衆に論理が欠けていると、文明全体が消滅することになります。 ですからこれは、非常に重要な主題なのです。 

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