個人の倫理観が欠如すると失敗する。
エシックスは本来個人に備わっているものなので、横道にそれると、人は常に自分自身のエシックスの不足を克服しようとします。
その人は、エシックス上での盲点をつくり出すや否や、その存在を認識します。 その瞬間に、その人は自分に対してエシックスをインにしようとし始めます。そして、実際のエシックスの技術が不足していても、その人が長期にわたる生存の概念を心に描くことができる分だけ、うまくやっていけるかもしれません。
しかし、非常に頻繁に、アウト・エシックスな状況によってバンクの引き金が引かれます。そしてその人が、それを分析的(合理的)に処理する技術を持っていないと、その人の「処理法」は、自分のアウト・エシックスな行為を促したり正当化したりするような何かが自分になされたと思い込むことや、そういったふりをするということになり、その時点でその人は下り坂を滑り落ち始めるのです。
そして、エシックスの基本的な技術がなければ、いったん落ち始めたら、彼には再びはい上がる術はありません。その人はただ、自分を直接的に、しかも故意にケーブ・インさせていくだけなのです。 その人の人生にたくさんの複雑な物事があったとしても、その人をだめにする人たちが他にいたとしても、すべては、彼がエシックスの技術を知らないということから始まっているのです。
これは基本的に、人が自分ではい上がっていくために用いる、最も重要な道具のひとつなのです。
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